wombatchang’s blog

海と夏と猫が好き

無邪気な園児と虚無顔の鳩と変なOLと素敵な公園

近所の公園に行った。

 

その公園はグラウンドを囲むようにレンガでできた道がある。そしてその道に沿ってグラウンドが見渡せるベンチが設置されている。今日のお昼、そのベンチに座って公園を眺めていた。右側にはキャッキャキャッキャ遊ぶ幼稚園児の団体さんが、左側には虚無顔で地面をつつき続ける鳩の団体さんがいた。

 

普通に考えて平日のお昼に公園のベンチに座って鳩と園児を眺めている大人って怖過ぎる。鳩に餌をあげていたらもうそれはそういう大人の完成である。よかった鳩の餌になり得るものを持っていなくて。米とか持ってたら普通にまいてたな。自分を客観視することと鳩のエサを持ち歩かないことを徹底する、メモメモ。

 

感情むき出しの園児と恐ろしいほど虚無顔の鳩。あまりのコントラストに、自分を園児か鳩かのどちらかにカテゴライズしないとだめだと言われたらどっちに分類するか考えてしまった。そして鳩だという結論にいたってしまった。私は鳩よりの人間でした。

 

日々自分が何を感じて生きているかって考えたら全然わからない。10分前になにをしていましたか?って聞かれたらスマホをいじってたとか料理を作っていたとかご飯を食べていたとか寝ていたとか割とすぐに答えることができる。でも10分前に何を感じていましたか?って聞かれると答えられない。自分は嬉しかったの?悲しかったの?楽しかったの?それとも美味しいな〜って思ってたの??

 

そういうところが鳩よりなのだと思う。お腹が空いたからご飯を食べる。敵が来たから逃げる。何もすることがないから座ってみる。人間の場合はそこに何らかの感情があるはずだけどその感情がわからない。もしかしたら私もあの鳩たちみたいに虚無顔でご飯を食べているのかもしれない。

 

大人になってから特にだけど感情って不要というか邪魔だと感じることが多い。それが嫌いなことでも気が乗らなくても不当さを感じても自分ばっかりバカを見ていると思ってもしなければならないことはしないとだめだしエネルギーを使って感情を露わにしても無駄になることがほとんど。でも感情を殺さなくてもいい時くらい自分の感情に耳を傾けてあげたいと思った。鳩よりの人間から人間になるためにも。

 

しかも感情に耳を傾けて自分が何を感じているかを知ってそれを客観視することができたら虚無顔脱却+感情にコントロールされない思考になると思うんだよね。うんまい物を食べている時は死ぬほど幸せを感じながら、自分は今美味しいものを食べて幸せを感じているんだなって客観的にみる。ナチュラルにそんな思考のやつがいたらあまり友達にはなれなさそうだけどこういう思考はとても役にたつと思う。

 

無邪気な園児と虚無顔の鳩と変なOLが共存する公園。これがダイバーシティです。

 

おしまいおしまい

 

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