wombatchang’s blog

海と夏と猫が好き

日常と仕事の話なの?

日常が愛おしく思えたとき、自分はめちゃめちゃ満たされている状態なんだろうなと思う。

 

やべえまたまためっちゃべたなことを書いてしまった。日常が愛おしくとかどこの詩人だよ可愛いんだから私ったら。

 

なんかこの感覚的なことってどうやって言語化したら良いんだろう。公園できれいな花を見つけてほっこりしたとか夏の雲を見つけて嬉しかったとか日常に埋もれている美しいものに感動するとかではなくて、全然美しくもほっこりも嬉しくもない何にもない普通の日常を愛おしく思えたときに自分が満たされているって感じるんだよね。

 

例えば日曜日の朝にトーストを焼いたら真っ黒になっちゃって、誤魔化すために表面を少し削って卵をのせたんだけど誰に見せるために誤魔化してんねんって思って少し笑ってしまったとか、例えば2月で時が止まった永遠にめくられることのないカレンダーを見て日の目を見ることはない春と夏のページにはどんな絵が描いていたんだろうって少し後悔する時間とか、例えばサラダ屋さんに行きたいのに絶対に中華料理屋さんに着いてしまって自分に呆れてしまう時とか。

 

そういう丁寧とは程遠い、美しさのかけらもない日常を愛おしく思えたとき。なんら普通の日常を一歩引いて俯瞰して見て、なんて愛おしんだろうって思う時。そういう瞬間が多ければ多いほど自分が今満たされている状態だと思う。

 

なにかを一歩引いて俯瞰して見るって余裕がないとできないことだと思っている。だって余裕がなかったらトーストが焦げて誤魔化したとかただトーストを焦がして誤魔化したという事象でしかなく、そこに感情があったとしてもダリ〜〜とかムリ〜〜とかになっちゃうもん。余裕があるからこそ起こった現象を流すのではなく写真みたいに撮影して切り取ってそれを第三者として見てクスッと笑えたり可愛いなって思ったりできるのだと思う。

 

私、そういう仕事がしたいな。誰かの毎日を映画の一コマみたいに愛おしいものに変えることができる仕事。誰かの心に余裕やゆとりを提供できるなにか。やっぱり人材系に興味があるな〜。だって自分の仕事で誰かの人生をがらっと素敵なものに変えられるかもしれないってすごいからね。仕事って人生のまじ半分以上占めるものだから私がきっかけで自分の使命みたいなのを見つけて毎日満たされた気持ちで生きれる人がこの世に1人でもいたら嬉しくてスキップしちゃうからね。あなたのおかげでお仕事が楽しくて心に余裕が生まれて普通の日常に忘れたくない瞬間が増えたって思ってもらえたら最高だよね。まあ、人材をやめてしまった人間の戯言ですが。

 

目の前にさっき私が脱ぎ散らかした靴下が転がっているんだけど私にもっと余裕があったらこれも愛おしい生活の一コマになるの?

 

洗濯しなきゃー!!

 

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