wombatchang’s blog

海と夏と猫が好き

挑戦者とチャイティーラテ

どうも、挑戦者です。

 

ここ一年私は沢山のことに挑戦した。

部署異動・転職・絵の販売・Wordpressを使ってのHP作成・アフィリエイト

そして今度はHatenaBlogを始めた。

 

いや~だってさ~わかんなくない?気になったことは全部やってみないと。

たまに言われる訳よ、一つのことを続けたらその先に何かがあるんだからまず続けないとって。

 

「続けた先に何かがある」これはめっちゃそうだと思う。

私が大好きなBTSも逆境に耐えながら愚直に音楽と向き合い続けてワールドワイドなスターになった。セブチだってそう。デビューしたての時はMAMA(音楽祭)で新人賞すら取れなかったのにずっと出場しつづけてやっと去年大賞を取ることができた。大賞を取る歌手の多くはデビューから2~3年なのにセブチは9年目にしてやっと大賞を取った。

 

でもさ、続けられるものを見つけるために沢山のことにチャレンジしてるんじゃんかね。誰が一生食べ続ける物を視覚のみで決定するんだよ、味見をしろ味見を。

 

少し前家族でバイキングに行った時に思ったんだけど最初はみんな沢山のジャンルのご飯を少しずつとるんだよね。

お肉と~お野菜と~お魚と~パンと~お寿司と~…

でも二回目はその中で好きだったものを選んでお皿にのせる。

もしその次のターンがあるのならさらに好きなものを選ぶ。

こうして「あ、自分はこのお料理が大好きなんだな」って自分好みの味覚を知る。

 

それと同じなのでは?

たくさんの挑戦・味見をしてその度に自分に質問をして「あ、これは合わないかもしれない」「自分と相性が悪いかもしれない」とか「おおおこれは苦手だと思っていたけど結構好きかも!」「この環境は快適だなあ」とか自分の空気に合ったものを見つけていく。

 

実際に私はこの一年で沢山の事を始めて嗅覚が研ぎ澄まされてきた気がする。自分が得意なこと・好きなことと実はそうでないものをなんとな~く判断できるようになってきた気がする。

 

ちなみにどうでも良いのだが私は最近スタバのチャイティーラテにお熱だ。ずっと「スパイスを飲む意味がわからんwww」と飲まず嫌いをしていたのだが「飲まず嫌い」をするのも不本意なので飲んでから嫌ってやろうと一口飲んだ日からその虜になった。今の私の人生はチャイティ―ラテなくして語ることができない。私の人生はチャイティーラテなしでは語れないみたいです皆さん。

 

「チャイティーラテ好き」の肩書は挑戦者として生きたからこそ得たものだと言えるだろう。あの時挑戦しなければ得ることができなかったから。誇りをもって今日もチャイティーラテを飲もうではないか。

 

そんなこんなで私は今後も挑戦者として生きたいと思う。

たくさん挑戦して味見をして自分の嗅覚をもっともっと研ぎ澄ませて自分の世界に入れたいもの・人生をかけて取り組みたいことを選んでいこうと思う。

 

そして次のステップは継続だ。

推したちみたいに好きなことを一生懸命死ぬ気で続けたい。そしてその先にある景色を見たい。

 

最後に私が好きな言葉を載せます。いつかどこかで見た言葉。多分Twitter

「人生には成功とその過程しかない」

 

おしまいおしまい

 

 

 

 

 

 

 

散歩をしたから見える景色

1か月くらい前から毎日1万歩歩くことにしている。

 

散歩は良い。変わり映えしない毎日に新しい刺激を与えてくれる。

 

もともと散歩を毎日のルーティーンに取り入れるようになったのは最近アホみたいに太ったからだ。母親に「あんたそろそろやばいんちゃう?」と言われて体重計に乗ったらあらびっくり。1年前から8キロ増えていた。さすがに面白くない。理由はいくつかあると思うが、毎日昼食のデザートにコンビニのちぎりパンを食べていたことが大きな原因だろう。ちぎりパンをデザートにするのはやめましょう。

さすがにこれではまずいのでまずは運動と思い散歩を始めたのが私と散歩の馴れ初めである。

 

ダイエットのために始めた散歩であるが、あちこち歩き回るのはとても心に良いと感じるようになった。毎日なにかしら発見があってとても楽しい。

 

例えば今日仕事帰りに公園を散歩していたら少年たちが野球をしているのを見た。少しの間観察していたんだけど、守備の子がボールを持っている子に向かって「へいへいへい」と言っている場面を100回は見た。

 

「へいへいへい」ってなんだよ。

私が子供の時からそうだ。ボールをパスしてほしい人は決まって「へいへいへい」と言う。それは「Hey Hey Hey」なのか?それとも「ヘイヘイヘイ」なのか?

なぜ「はいはいはい」じゃないの?日本文化か?守るべき伝統か?

 

「へいへいへい」という言葉はシャワーをしても頭にへばりついたままだったので父親に電話をした。「お父さんの時からボールをパスしてほしいときはへいへいへいって言ってたん?」と聞くと「うん」と言っていた。

 

やはり「へいへいへい」は日本文化であり守るべき伝統だという事が分かった。

 

公園を通り過ぎて家の近くのローソンの前で信号待ちをしていると犬種が分からない犬がいた。

その犬は顔はシュナウザーなんだけど尻尾が柴犬みたいにくるんと丸まっている。足が長くて小顔な犬だった。綺麗にカットされたツヤツヤな毛。飼い主さんに大切にされていることがわかる犬を見るとほっこりする。

 

私は幼いとき百円ショップで犬の写真とその犬種が書かれたカードを買ってフラッシュ暗算的なノリでフラッシュ犬種当て選手権を開くのが好きだった。

その甲斐あって私は犬種にめちゃめちゃ詳しいんだけどそれでもあのワンちゃんの種類は分からなかった。

 

そのワンちゃんは突然そわそわし始めてウンコをする姿勢に入った。

信号の待ち時間の有効活用である。見上げた犬だ。

 

その犬がウンコの姿勢にはいった数秒後に信号が青に変わった。

有効活用失敗である。

 

その犬がウンコをしようとしているにも関わらず信号の反対側で待っていた人がぞろぞろと横断歩道を渡ってくる。驚いた犬はウンコの姿勢のまま歩いてくる人に向かって吠え始めた。

 

飼い主さんは「こら!ほえないの!」ときょろきょろしながら小声で犬を諭す。

犬はお構いなしでウンコの姿勢のまま吠える。

 

犬ってすごい。ウンコをしたいからウンコをする。吠えたいから吠える。なんて強い生き物なんだ…!!私達人間も見習うことがあるのではないだろうか。恥とかプライドとかそんなのは捨てて自分を守るために大きな声を出しても良いはずだ。たとえウンコの途中でも。

 

勘違いしないでほしいのは犬に恥やプライドがないと言っている訳ではない。

そしてこのブログはウンコの事を話すブログではない。

 

とにかく散歩は良い。

毎日面白い事に出会えるからだ。

 

おしまい

 

 

 

 

地獄の日曜日と綿密な妄想

楽しいことが立て続けに終わった後の日曜日のことを私は「地獄」と呼んでいる。

今日がまさにその「地獄」の日。楽しみにしていたことが終わった後の日曜日なのだ。

 

先週土曜日、私の最初で最後のヒーローseventeenのライブがあった。

そして昨日、5年ぶりのユニバでのデートを終えた。

今日の朝、私は虚無顔でお昼すぎに目覚めて絶望する予定だった。

 

しかし今日の私は一味違う。

「地獄」から自分を守る準備を事前にしていたからだ。

 

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そういえば最近ユニバ行きましたか?

5年前とめちゃめちゃ変わってるね!!?

フライングダイナソーの待つ場所にロッカーが出来ていて事前に荷物を預ける式になっていたりレストランでモバイルオーダーができるようになっていたり。

効率化の波すげ~って思った。

 

そういえばユニバのV字回復の話知っていますか?

あれめっちゃやばいの。

売り上げが低迷している時、敏腕マーケターがその状況に終止符を打つために提案した策がバカでかヒットしてV字回復を果たしたらしい。

それがめちゃめちゃ低リスク高リターンのものだったんだけど何かわかる?

ハリウッドドリームザライドのバック版らしい。

もともとあったジェットコースターを逆向きに動かすようにしただけ。

すごくない?

もともとあったものを少し違った角度から見て新しいアトラクションを創り出してしまう。

天才だなあと思う。

 

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待て待て。ユニバのオペレーションが変わった話もV字回復の話もどうでもいいのだ。

私は今日「地獄」から自分を守る準備をした話をしたかったのだ。

 

その方法とはずばり

「楽しみにしていた日を迎える前日に頭の中でその日を一度経験する」だ。

 

見える。見えるぞ~、「?????」が!!

 

そもそもなぜ楽しみにしていた日が終わったあとの日曜日が「地獄」なのかを考えたら、「もうその日を楽しみにすることができない」寂しさ・「楽しかった」という思い出・そして「現実に戻らなければならない」という事実、これらが大きく関係していると思う。そして地獄の日曜日には決まってこう思う。「あの日に戻りたい…」

 

そうだ。あの日に戻ったことにして当日を楽しめばよいのだ。

楽しみにしていた日の朝、「今日の私は3日後からタイムスリップしたきた自分。本当はすでに今日というファビュラスな日は終えているけど3日前に戻ってもう一度あの素晴らしい経験をしたいと泣きわめいたら神様がタイムスリップさせてくれた」という設定を自分に与えるのだ。

 

そしてその設定をよりリアルなものにするために前日の夜は細かくシミュレーションをする。電車の乗り換えももちろんチェックする。何の服を着て何時に誰とあって何を食べて何の話をして…までとにかく細かく細かく妄想するのだ。

 

その妄想を経て当日の朝に「今日は2回目ラッキーチャンス」と自分に言い聞かせたら当日のありがたみがやばい。

そして当日を終えたらもう諦めがつく。2回も経験させてくれたんだから仕方がないか~~~~と。

 

ずっとあほな事言ってるでしょ?

でも本当に効果あるから試してほしい。

 

次の私の楽しみは7月の韓国旅行。

絶望虚無顔が目に見えているので事前妄想すっぞ~~~☆

 

おしましおしまし

 

お題「もっと早くやっておけばよかったと思う事」

 

銭湯でアルマゲドンになって星に照らされた夜の話(2023/11/4)

夏から秋になり、
もう少しで冬がくる。

空気が冷たくなるにつれて
夜空を見上げる回数が増えた。

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昨日の夜、お友達と銭湯へいった。
21時くらいに銭湯について天丼を食べた。
風呂屋さんで食べるご飯ってなんでこんなに美味しいんだろう。
「一口かえっこしよ~」と言って友達のかつ丼を二口食べた。

セルフサービスのお茶の淹れ方が一生分からないのもなんか良い。
君は長押ししなきゃダメなタイプの子だったの~~~?

銭湯の回数券を二枚ちぎってカウンターで渡す。
わくわくしながら脱衣所に向かう。
ドライヤーの少なさに絶望しながら服を脱ぐ。

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私は露天風呂が大好きだ。
素っ裸で外にいるという背徳感。
ダメなことを堂々とできる感じ。
どうしてもアルマゲドンのポスターみたいに歩いてしまう。

画像
アルマゲドン

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2時間みっちりアルマゲドンをしてやっと帰路につく。

銭湯帰り、0時の散歩は気持ちが良い。
空を見ると三ツ星が光っていた。
おそらくその左側にあるのがペテルギウスだろう。

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小学生の時、私は星が大好きで宇宙飛行士になりたかった。
クリスマスプレゼントにもらった望遠鏡で毎晩星を見ていた。
持ち運ぶ用に双眼鏡も持っていた。

寝る時は家庭用のプラネタリウムで星を見たし、
朝の読書の時間は眠気覚ましに”眠れなくなる宇宙の話”という本を読んでいた。

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有名な話だが、
今私達が見ている星の光は少なくとも数年前、
ものによっては100億年以上前の光らしい。

想像もできない遥か昔に爆発したり、他の星とぶつかったり、何かに照らされたりして放った光が長い時間を経て令和を生きる私の目に映っている。

私の人生もこうであったらいいなと思う。

過去、私が必死になって努力したこと
やっとの思いで成し遂げたこと
なぜか涙が止まらなかった映画
大好きなお友達との出会い

今、私が日々感じている小さな絶望
自分に向き合う辛い時間
大好きな音楽から希望をもらっていること
笑顔にしたいと思う人たちが沢山いること
今月初めてお友達の結婚式に行くこと
久しぶりにみんなに会えることが嬉しくてたまらないこと

全部が光になって未来の私を照らしてくれていたらいいと思う。
きっと照らしてくれているのだろうなとも思う。

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ペテルギウスは数年前、光が暗くなり続けてもうその光が地球に届くことはないかもしれないと言われる時期があった。
でも今はまた地球に光を届けてくれている。
夜空を照らしてくれている。
一生懸命光っている。

「ああもうだめかもしれない」って思うことがあってもいいし
誰かにそう思われたって別にどうでもいい。
でもどうか光を放つことをやめないでほしい。
私は私を信じているから。
どうか未来の私に光を繋いでほしい。

きっと未来の私は過去に自分が放った光に照らされてさらに眩しく光っているから。笑っているから。
悲しさも辛さも失敗も自責も全部が光だったんだって実感できる日が来るから。

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銭湯でアルマゲドンの一員になって
帰り道に星の事を考える。

私は宇宙と縁があるのかもしれない。

おーーーーーーしまいっ!

ロゴスとピュシスと夏の夜(2023/8/29)

ピッコロというアイスティーを飲んだ。

私はアイスティーが好きだ。
四季の中で夏が一番好きなんだけどその理由の一つはアイスティーを美味しく飲める季節だからだ。

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「夏は夜 月のころはさらなり」

清少納言は蛍が光っている夜に趣を感じたようだが、
私は花火大会の後、混雑する駅を背にのんびり歩いて家に向かう時間に趣を感じる。

その時間のために私は紺のワンピースと歩きやすいサンダルで来たんだ。
音がしない工事現場の横を歩く。
歩道が狭く車との距離が近い。
その先の曲がり角を超えたところにセブンイレブンがあることは知っている。

よっしゃアイスを食べるぞ~~~!!!

夏の夜と言えばスイカバーかガリガリ君パピコだ。
でも私はピノを食べる。
だってピノが食べたいんだもん!!!!!!

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私は沢山の音が聞こえる夏の夜が大好きだ。
夏の音に包まれていると自分も自然の一部になった気になる。
自然の一部になった自分はなぜか何よりも自由な存在に感じる。
だから夜中でも平気でアイスを食べちゃう。

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つい先日、坂本龍一さんと福岡伸一さんの対話が収録された
「音楽と生命」という本を読んだ。

お二人は「人間が作り上げた人工的な物(ロゴス)」と「自然(ピュシス)」について話していた。

人間はどうしても物事に再現性を見出し方程式を作り、
すべての物事を管理したい生き物なんだなあと思った。

「不思議だねえ、綺麗だねえ」ですますことが出来ないみたい。
夜空に広がる星に名前を付けて勝手に結び、星座を作る。
マウスの細胞をすり潰して一つ一つの役割を見つける。
音にも名前を付けて楽譜を作る。
「こうだからこう!」という確信というか根拠というか、、、
そういうものがないと不安になってしまう。

再現性がない、または理由を説明できない事象がオカルトやスピリチュアルのカテゴリーにいれられて区別されるのは、ロゴス化されていないものに対して働く人間の防衛本能からなのかもしれない。

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私は漠然と将来に対する不安に飲み込まれそうになる時がある。

それは私にはまだ人生の楽譜がないからだと思う。
自分の人生がロゴス化されていないからだと思う。

大きな夢を持つ人はそれを目指して音符をたどる。
人生設計がしっかりできている人も然り。
楽譜を書き終えた友人は人生に迷いがない気がして眩しい。

でも本当は誰にも人生の楽譜なんてなくて、
ロゴス化された人生なんて存在しなくて、
ただ「そう見える」だけなんじゃないかな。

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全ての人間の人生は確実にピュシスだと思う。

明日死ぬかもしれないし
明後日推しから連絡が来るかもしれない。
今週末にはウエディングドレスに袖を通して一丁前にもマリッジブルーになっているかもしれない(!?!?)

だから無理に人生の楽譜を書こうとする必要はなくて、
将来が分からないことに不安を感じる必要もない。

不安で不安で眠れない夜は
「人間って何にでも確信を持ちたい生き物だもんね、
分からないことに不安を感じるのは当たり前だよね」
と自分に語り掛けて好きな音楽を聴きながら時間をつぶせばいい。

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生物学者兼登山家の今西錦司さんは
「なぜ山を登るのか」という問いに対してこう答えたらしい。

「山に登るとその頂上からしか見えない景色があって、そこに、次の山が見える。だからまたその山を登りたくなるということを繰り返しながら、自分は直線的でなくてジグザグに進んできた。」

「音楽と生命」より

人生に楽譜はないけれど、
その都度自分の使命やささいな“やりたいこと”を見つけて、
それに向かって歩いてみて、
その道中素敵な景色を見て
考えが変わったらまた新たな一歩を踏み出せばいい。

ロゴス化できない人生だから、
ジグザグ進んだらいいんじゃないかなあ。

おしまい

フランス料理と推しと自由な生き方(2022/4/1)

フランス料理を食べに行った時のことを思い出しました

京都のブションって名前のお店です

本当に素敵な店やからもう一度言うね

京都のブションって名前のお店です!"Le Bouchon"こう書きます!!

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絶対全員行くべき!!!!!
ブションを超える店を私は知らない
フランス料理と聞くと「お高いんでしょ~?」ってなるけどそんなことない。ディナーのコースで3000円くらいやったかな(自信はない)。私は前菜でフォアグラのテリーヌを、メインでステーキをいただいた。フランスパンとデザートもコースに含まれているから驚きだ。お味はもちろん最高だ。語彙力なんてブションに置いてきた。

そこで衝撃的なことが二つありました
それ書きたい。それ書くね。

一つ目はパンを置くお皿がないことです
テーブル全体にキッチンペーパーみたいなのがかかってるの、テーブルクロスみたいに。
直接そこにパンをおいて食べるんやけどそんなん勿論テーブルの上がパンくずだらけになっちゃうやん?フランスパンやねんから。でもね、テーブルの上が汚くなったらスタッフの方が来てシュッてパンくずを払ってくれるの。ほんで何事もなかったように「前菜をお持ちしました」ってスマートに食事をサーブしてくれるの!!!!!!!
これが一つ目ね、衝撃的だったこと一つ目。

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二つ目はテーブルにお絵描きできること

え?ってなるやん、落ち着いてね。説明するから。
おそらくなんだけどブションにはコースターがないの。おそらくやけど。やからさ、グラスに水を注いで置いておいたら水滴が垂れてテーブルに敷いてるキッチンペーパーが濡れて色が変わるのね。その水の跡から連想するものをそのままそのキッチンペーパーに描いていくの

こんな感じで↓↓

画像
うさちゃん

お客さんの中にはブションの店内を描いた人もいたんだって~

私ね、自由に生きるってこういう事なんじゃないかなあって思ったんです。

社会にあるルールをいっぱい知ってそのルールの中でできる面白い事をたくさんたくさん見つけること。
それをできる人が自由な人なんかなって。

―――――

中高生の時、学校の訳分からんルールにうんざりしたことないですか?

くるぶしまでの靴下はあかん!とか髪ゴムは茶色か黒!とかスニーカーは白!とか、、、

なんでやねん!って思いながら私はちゃんと守っていました(大真面目)

中にはそのルールを破る人もいて、よく先生と言い合いしていました(ちょびっと憧れていた)

でもさ、それって結構労力使わない?

自由になりたい!もっと自分の個性を出したい!って思って頭にリボン付けたり真っ赤なスニーカー履いたりするけど結局先生と言い合いになってモヤモヤして「あれ?これが私の求めていた自由?」ってなってしまう

でもそうかと言って私みたいにしたらあかん事ばっかり考えていたら息が詰まってしまう。ルールに溺れてあっぷあっぷしてしまう

―――――

ブションを出てお家に帰る途中、ずっと自由ってなんだろうって考えていたんです。

その時に推しの言っていたことを思い出しました。(何を隠そう私はJIN of BTSのオタクだ)

気が向くままに生きるというには、BTSのようなグループは、いろいろ気を配りながら生きていかなければならないことがあるのではないですか。
JIN:
そういうことは考えていませんね。僕たちが必ず守るべきこと、例えば、赤信号では渡らないとか。赤信号で渡れば事故が起きるので。ただ、そんなふうにしてはいけないと決まっているので、やりたいからといってやったりはしません、そういうことは。

それは気がむくままに生きるより、かえって節制しているように思えますが(笑)。
JIN:
赤信号で渡らなければ事故は起きない、というのと一緒です。やってはいけないことをしなければ、今僕がこうして現在に満足して生きる、ということを維持できますから。そういうことじゃないでしょうか。多くの人たちが息苦しく感じたりするんですけど、そういう人たちは赤信号で渡ってしまう人なんでしょうね(笑)。
weverse magazine 「Be」インタビューより

ずっと抽象絵画みたいに感じていた彼の言葉が突然カラー写真に変わった気がしました。

世の中にはたくさんルールがあります。私たちが進む道にはここからは出ちゃイヤよ!っていう停止線があちこちにあります。そのルールは場所によっても人によっても違います。

覚えられないくらいたくさんのルールがあるから面倒やけどそれを知っていくことで自由になれる気がするんです。

私のブション体験なんてまさにそれ。
ブションではパンをテーブルの上において食べるっていう面白いルールを知りました。
やから“お皿なんてヤダ!”ってなった時はブションに行けばいいんです。わざわざ実家のテーブルをパンくずだらけにして母に怒られる必要はありません。

あと、ルールの中で遊び心を持ってワクワクすることが出来たらそれは自由だと思うんです。誰にもなんも言われへんし!

ブションのテーブルに敷いてあるのはキッチンペーパーです。汚れてもいい、なんなら汚すためのキッチンペーパー。やからそこに絵描いても全然よくない?自分もワクワクするし。

―――――

でもルールを知ることとかルール内でできるワクワクを見つけるのってすんごく難しい。

ブションの店員さんが教えてくれるまで私は何にも知らなかった。知ろうともしていなかった。
パンを直接テーブルに置くと言うルールもテーブルに絵を描くという遊び心詰まったワクワクの仕方も。

だから自由に生きる人はすごい
とても賢いし話していて面白い。憧れる。かっこいい。素敵すぎる。私もそうなりたい。

おしまい

大学を卒業した(2022/3/22)

私は大学を卒業した。

人生の節目を迎え、私はひとつ大人になる。

最近かなり暖かくなった。

桜の花が私を4月ムードに連れて行ってしまうまであと何日何時間何分何秒残されているのだろう。

幸い今日は肌寒い。大丈夫、まだ3月が仕事をしてくれている。

あと少しだけ私は学生でいられるみたいなので書類の代わりにアルバムを開いて少し変わった私の高校時代・大学時代の思い出を振り返ってみようと思う。

熱いココアにマシュマロを浮かべたから準備は万端だ。

ココアが熱い間だけ過去にタイムスリップしてブログを完成させよう

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“賽は投げられた”

これは高校3年生の時のクラススローガンだ。

一度決心したら最後までそれをやり抜け、という意味らしい。

私の高校時代はまさにこの言葉どおりだったと思う

私の高校はめっちゃやばい高校だった。死ぬほど最高な学校だった。

生徒が勝手に決めた学年ソングはmaroon5のsuger。

2年生の時はプレプロム、卒業時にはプロムがあって大きな会場を貸し切って正装で参加する。

誰かがギターをもって壇上にあがるとそこにみんなが集まりsugarを歌う。

その時点で最高にやばい。

世界史の授業はドレッドヘアで世界を旅した元旅人の先生が黒板に大きな世界地図を書いて教えてくれた。英語の授業はほとんどがプレゼンとディスカッション、家庭科の授業ではフィリピンのティータイムを再現したりした。

私が通っていた高校には他人を笑う人は誰もいなかった。常にワクワクする事にアンテナを張ってセンサーが反応したら即行動。みんな”生きている動物”だったんだと思う。

私も漫才からWHO主催のとあるサミットのプレゼンまで、心が反応したことは全部やった。

頭と心が手を繋いでいる状態ってこういうことか、と今になって思う。

その環境が今の私のベースを形成してくれたことは間違いない。

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大学生活もまた、結構なカオスだった。

フィリピンのNPO法人インターンシップをさせてもらった時はいろいろあってジープニー(現地のバスのようなもの)から落っこちてしまった。あの交通量で死ななかったことは完全に奇跡だ。生まれてはじめて“助けて~~~~”と大きな声で叫んだがタガログ語がメインの国では意味のない雄叫びになった。

ヒッチハイクで千葉まで行ったときは宗教勧誘の車に乗ってしまって囚人パレードなるものに連れていかれそうになった。結構怖かったのでおそらく一生ヒッチハイクはしないと思う。でも“囚人パレードってなんですか?”くらい聞けばよかったと後悔している。囚人パレードってなんですか?

超スパルタの自転車合宿に参加した時は何度転んだか見当もつかない。とりあえず良く分からないけど自転車をこぎ続けたら合宿が終わっていた。“気合が足りてないねん!!!根性見せろ!!!”という言葉は一生分聞いたので一生言わないでほしい。

タイに研修に行ったとき初めてタイ古式マッサージに行った。隣で友人が振り回されている光景を見て爆笑してしまった。それにつられて友人も笑い、マッサージ師も笑っていた。笑いは言語の壁を超える。タイ式マッサージ屋さんでそれを実感した。

ダブルディグリーを取るために必死で勉強したこともあった。何とか試験に合格したけど授業に全くついていけなかった。ほとんどがオールイングリッシュでディスカッションメインの授業だったからだ。途中からコロナの影響でオンライン授業に切り替わって私は“Wi-Fiを切る”という技を習得した。

効果音しか使わない先生による能楽の授業やボルダリングの授業もなかなか興味深かったけど最も面白かったのは哲学の授業だ。“椅子は帽子だ”と言い切った先生は授業中ずっと椅子をかぶっていた。人間は寝る生き物だと言って教壇に寝そべって授業していたこともある。でも学生が寝たらめっちゃ怒っていた。

私は世界の教育に興味があったのでそれを学べるゼミに入った。でもなぜか気が付いたら山奥の土地を開拓して畑を作っていた。教授の興味が教育から畑に変わったらしい。その活動で出会ったおば様の一人がかなり曲者で友人が体の不調を相談したら“町医者のよっちゃん”を紹介されていた。医師免許を持っていない“ただのよっちゃん”だという事が分かったのは少し後の事だ。

大学とは別でプログラミングの学校にも通っていた。卒業制作でホームページを作らなければならなかったので私は防弾少年団の紹介HPを作成した。みんなの発表を聞きながら、そのHPは自分の紹介でなければならなかったという事実を知ることになる。たまげた。

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私は大学を卒業した。

片道2時間かけて通った大好きな場所

思い出がたくさん詰まった私たちの大切な故郷

なんで彼氏できひんねんやろー!って笑いながら散歩した鴨川の河川敷

恋人ができた時は食堂でビビンバを食べながら友人に報告した

試験前はパウダールームに引きこもったね

紅葉の季節は学校の隣にある京都御所でピクニックをした

冬は雪が積もる神社でお地蔵さんを探した

深夜3時に盛り上がる心斎橋

タバコと香水の匂いが混ざったクラブ

レッドブルウォッカで乾杯した日

朝方の駅のホーム

新しい世界を知ったのも大学時代だった。

いつでも大好きだよって言ってくれた親友の存在がありがたかった

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突然だが、親友が教えてくれた竹の話をしたい

たくさん節目がある竹は強い。
強い風にも激しい雨にも負けない。しなやかに体を曲げた後、何事もなかったかのように元いた場所に戻るらしい。
節目が少ないとすぐにぽっきり折れてしまうという。

それは私たちも一緒なのかもしれない。

たくさんの節目を経験して強くしなやかになっていく。

大学卒業、なんで恐ろしいんだ。

本当は未来が怖い。めっちゃくちゃ怖い。

でも大丈夫

卒業という大きな節目を迎えた私は強くなっているはずだから。

この先どんな節目が来ても、手を大きく広げてwelcomeって叫ぼうと思う

そしてひとつ強くなった私たちに乾杯しよう

賽は投げられた

強くしなやかになった自分を信じて一生懸命生きてみよう

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あーあ、ココアが冷めてしまった。

でも私は2022/03/22に戻らなければならない

楽しかったな〜私の学生生活

おしまい