wombatchang’s blog

海と夏と猫が好き

デカフェを「でかいコーヒー」だと思っていました

デカフェを頼みました。

 

最近お気に入りのバスクチーズケーキが有名なカフェで初めてデカフェを頼んだ。私はコーヒーが大好きなので「デカフェ」という飲み物の存在は知っていた。しかし今まで一度も飲んだことがなかったのだ。しかし今日、カフェに長居する予定だったためデカフェを注文してみた。しかし出てきたのは小さなというか普通のサイズのコーヒーだった。

 

お分かりだろうか。私はずっとデカフェのことを「でかいコーヒー」のことだと思っていたのだ。略語的な感じで。しかし違ったらしい。Googleで調べてみると「デカフェ」は英語で「decaffeinated」といい、本来カフェインを含むものからカフェインを除去した飲み物のことを指すらしい。BSSの「Fighting」という曲で「モーニングコーヒーデカフェ 早起きして気分は最悪」みたいな歌詞があるのだが、それも「あ、朝は眠くなるからめっちゃでかいコーヒーから始めるんか〜」と納得していた。紛らわしい!!

 

私は日頃からそういう思い違いというか勘違いみたいなことがめちゃめちゃ多い。オリンピックの「五輪(ごりん)」を「オリン」と思っていたりとかね。「当たり前を疑え!!」を軸とする社会学部で真面目に勉強していた身としては照れてしまう。てへへ。

 

でもこういう「当たり前を疑う」って実はめちゃめちゃ難しいことだと思ったりする。当たり前のことは疑わないから「当たり前」という名がつくのだ。

 

最近思った疑うべき「当たり前」は「みんな生きるために我慢しなければならない」という当たり前。社会人一年目でめちゃめちゃ言われたことだ。「みんな仕事したくないねん」「しんどいけど歯食いしばって生きてんねん」「日曜日の夜は憂鬱になることが普通やねん」「社会人やったら多少の我慢は必要やねん」でも転職したお友達の1人が「それって当たり前じゃなかったらしい」と言っていて「!!!」となった。

 

彼女は前職で適応障害になって転職したんだけど今の仕事が信じられないくらい楽しいらしい。日曜日の夜は憂鬱を感じることが普通だと思っていたけど今は土日も少し仕事をするワーカホリックに変身したという。なぜなら楽しいから。前は全く評価されず自分のことを無能だと思っていたけど今は新人なのに周りからも認められて頼られると言っていた。

 

スーパーに買い物に行くと、500mlの水が98円くらいで売られている。しかし富士山の上では同じ水が500円で売られている。商品自体は全く同じモノなのに、それを欲する人がどれくらいいるか、それがどれくらい重要かで価値が大きく変わるのだ。中身は何一つ変わらないのに。

 

つまりまとめると「デカフェ」はでかいコーヒーではなかったということだ。今後デカフェを頼んで普通サイズのコーヒーが来ても目をまんまるにするのはやめましょう。「デカフェ」が「カフェインを除いた飲み物」であることは当たり前のことなので。

 

おっしまい!