等身大の自分で生きていきたいと思った。
最近よく聞くお気に入りのラジオでback numberの「世田谷ラブストーリー」が紹介されていた。back numberの曲、中高生の時よく聞いていたなあと思ってスマホの音量を上げた。気がついたらなぜかめちゃめちゃ胸がぎゅうっとなって涙を堪えている自分がいた。昼間の公園でOLが涙を流すわけにはいかない!!!!子供が大人の世界に闇があると思ってしまう!!!決してそういう訳ではないんですただラジオを聞いているだけなんです汗汗汗汗
「旧道沿いの居酒屋を出てから僕が無口なのは今日君を家に誘うその口実を探しているんだよ
駅まで3分ちょっと近すぎたよな、酔っ払った僕に君はまたねと小さく手を振った。」
「改札入って振り返り、気をつけてねと君はまた手を振る
僕も同じ言葉を言いながら呼び止めなきゃと心で繰り返す」
いつでも等身大の自分でいたいなあと思った。
大切にできない勝手に流れていく日々すらも愛おしく思って栞を挟んで生きていきたいな。
そういう時代なのかそういうお年頃なのかは分からないかが、「何者かにならないといけない」と思うことが多い。だから私は自分を「普通」意外の何者かにするために自分を様々な言葉に当てはめようとする毎日を過ごした。HSPとかINTJとか最近できたあらゆるカテゴリーに自分を当てはめてみたり、少し変わった趣味を作って自己紹介で話してみたり。
どのカテゴリーに属す私もどんな趣味を持つ私も紛れもない私なんだけど、なんか少し違うんだよな〜自分が発している言葉が他人から出た言葉みたいに聞こえてしまう。自分が何かに操作されているように感じて自分が自分の言葉や行動に置いてけぼりにされてしまう感覚になる。
自分はこういう人間!こういう特徴があってこれが苦手!これが得意!将来は年収1億円以上稼いで毎日ミシュランシェフの高級ディナーを食べる!!!こうやって自分のことを決めてしまったら驚くほど生きることが楽になる。言動がその枠組みによっていくのを感じるし一貫性も出てくる。しかし考えることをやめてしまうからその時の感動や小さな心の動きをあまり覚えていない。
あの日、本当はありがとうって言いたかったけどなんだか照れ臭くて言えなかったこと。でも絶対に言いたいから永遠に駅に着かなかったら良いのにって思ったこと。駅が近づいてきた時、時間を稼ぐためにコンビニに寄って飲みたくないカフェラテを買ったこと。時間をかけて飲めるホットにしたんだけどすぐに冷めてしまったこと。結局ありがとうの一言が言えなくてバイバイって言ったこと。次会った時に伝えようと思ったけど未だに次はまだ来ていないこと。
大学生のあの日の記憶。等身大の自分が感じたこと。もし当時の自分が自分を何者かにカテゴライズして過ごしていたら、何にも考えず「ありがとう」って笑えたと思う。でもきっとこうして記憶に残ることはなかったと思う。
何にもない日々だけど、特別な自分ではないけれど、エレベーターのモニターで天気予報を確認して折り畳み傘をカバンに入れた自分を褒める、そんな毎日を大切にしたい。
毎日等身大の自分に向き合っていたら、そんな毎日を大切にしていたら、いつか自然に自分が見えてくる気がする。気がついたら自分の魅力を見つけて1億円以上稼いで毎日ミシュラン食べているかもしれない、いえ、そうでなくては困りますとも。強欲ですの〜〜〜〜
おしまいですのよん