wombatchang’s blog

海と夏と猫が好き

グレイテストウーマンの昼休憩

お昼休みに公園へいくのが毎日のルーティーンです。

 

昨日の夜から雨が降り始めて朝になってもえげつない雨が降っていた。まじで通勤中滝行してるのかと思った。滝行しながら通勤するとか偉いを超えてグレイテストウーマンだろ絶対。やれやれうっかり朝からグレイテストウーマンの称号を得てしまった。

 

ってか普通に考えて行きたくもない職場に向かうんだからリムジンで迎えに来てくれたって良いじゃんね、なぜ行きたくもない場所にびちょびちょになりながら向かわなければならないのか皆目見当もつかない。社会は人の優しさに甘えすぎだろ絶対、苦痛を強いるのであればせめて心休まる方法でその場所までいざなってほしい。

 

そんなことを考えていたら午前が終わって昼休憩のチャイムがなった。やべえなあなんもしてねえなあずっとリムジン通勤のこと考えてたわと鼻をほじほじしながら外に出たらすっかり雨が止んで晴れていた。ここでいったんグレイテストウーマンの称号は没収である、生産性皆無だったので。

 

晴れたので毎日のルーティーンができると思い公園へ向かった。すると雨がやんだことを喜ぶ社会人がたくさんいた。

 

ここで私が彼ら彼女らに話しかけたらどのような関係になるんだろう、とふと思った。

 

なんか生きてきた中で本当に何者かが分からない人と関係を築こうとしたことってあんまりない気がする。学校で出会う人はクラスメイトや先生に限られているし、社会人になってから出会う人は同僚や上司先輩や後輩などだ。今まで出会った人は初対面からある程度は相手の肩書きを知っていて自分との関係も分かっている人たちだった。本当に相手のことも何にも知らない、自分のことも何にも知られていない、という状況はあまり体験したことがない。

 

相手のことを一切知らない、何者かも何歳かも何をしている人なのかも何にも知らない人と出会ったら私はなんの話をするのかな。私のことを何にも知らない人に自分のことをなんと紹介するのかな。好かれる必要もそのメリットも分からない人と私はどうやってどんな関係を築こうとするのだろう。もし話していく中で「ああ、この人好きだなあ」と思ったらどうしたらいいんだろう。お互いに興味を持っていないと続かない関係って怖いよ〜涙 興味を持たれなくても続く関係の方が楽じゃん絶対涙

 

そういえばSNSでの出会いってそれに近いかもしれない。私はBTSのオタクアカウントでTwitterをしているのだが、そこで出会った人たちはオタクという共通点はあっても、最初は本名も顔も年齢も職業も何も知らない人たちだ。公園ですれ違うスーツをきたおじさんと同じくらい情報量は少ない。

 

私はTwitterで出会った友達がもれなくとても大好きなんだけどそれってその人をカテゴリー(同期・先輩・上司・先生・後輩)に当てはめずにその人自身を知りたいと思った結果、その人たちの素敵さを勝手に知ることができたからかなって思う。
それと同時に自分もまっさらな状態で自分のことをありのまま伝えることができたから私の魅力に気付いてもらうことができたのだと思う。(私はこういう人間ですどうか愛してください)

 

うざいなあと思う上司もうるさいなあと思う後輩も、「上司」や「後輩」という枠を外してまっさらな状態で関係を始められたらもしかしたらめっちゃ気があうなあって思っていたかもしれない。

 

シンプルな出会い方をしたらきっともっと魅力を知れたのになあと思う人がたくさんいるという話でした。う〜〜〜〜〜もったいない!!!

 

もったいないもったいない

 

 

等身大でミシュラン食べたい

等身大の自分で生きていきたいと思った。

 

最近よく聞くお気に入りのラジオでback numberの「世田谷ラブストーリー」が紹介されていた。back numberの曲、中高生の時よく聞いていたなあと思ってスマホの音量を上げた。気がついたらなぜかめちゃめちゃ胸がぎゅうっとなって涙を堪えている自分がいた。昼間の公園でOLが涙を流すわけにはいかない!!!!子供が大人の世界に闇があると思ってしまう!!!決してそういう訳ではないんですただラジオを聞いているだけなんです汗汗汗汗

 

「旧道沿いの居酒屋を出てから僕が無口なのは今日君を家に誘うその口実を探しているんだよ
駅まで3分ちょっと近すぎたよな、酔っ払った僕に君はまたねと小さく手を振った。」

「改札入って振り返り、気をつけてねと君はまた手を振る
僕も同じ言葉を言いながら呼び止めなきゃと心で繰り返す」

 

いつでも等身大の自分でいたいなあと思った。
大切にできない勝手に流れていく日々すらも愛おしく思って栞を挟んで生きていきたいな。

 

そういう時代なのかそういうお年頃なのかは分からないかが、「何者かにならないといけない」と思うことが多い。だから私は自分を「普通」意外の何者かにするために自分を様々な言葉に当てはめようとする毎日を過ごした。HSPとかINTJとか最近できたあらゆるカテゴリーに自分を当てはめてみたり、少し変わった趣味を作って自己紹介で話してみたり。

 

どのカテゴリーに属す私もどんな趣味を持つ私も紛れもない私なんだけど、なんか少し違うんだよな〜自分が発している言葉が他人から出た言葉みたいに聞こえてしまう。自分が何かに操作されているように感じて自分が自分の言葉や行動に置いてけぼりにされてしまう感覚になる。

 

自分はこういう人間!こういう特徴があってこれが苦手!これが得意!将来は年収1億円以上稼いで毎日ミシュランシェフの高級ディナーを食べる!!!こうやって自分のことを決めてしまったら驚くほど生きることが楽になる。言動がその枠組みによっていくのを感じるし一貫性も出てくる。しかし考えることをやめてしまうからその時の感動や小さな心の動きをあまり覚えていない。

 

あの日、本当はありがとうって言いたかったけどなんだか照れ臭くて言えなかったこと。でも絶対に言いたいから永遠に駅に着かなかったら良いのにって思ったこと。駅が近づいてきた時、時間を稼ぐためにコンビニに寄って飲みたくないカフェラテを買ったこと。時間をかけて飲めるホットにしたんだけどすぐに冷めてしまったこと。結局ありがとうの一言が言えなくてバイバイって言ったこと。次会った時に伝えようと思ったけど未だに次はまだ来ていないこと。

 

大学生のあの日の記憶。等身大の自分が感じたこと。もし当時の自分が自分を何者かにカテゴライズして過ごしていたら、何にも考えず「ありがとう」って笑えたと思う。でもきっとこうして記憶に残ることはなかったと思う。

 

何にもない日々だけど、特別な自分ではないけれど、エレベーターのモニターで天気予報を確認して折り畳み傘をカバンに入れた自分を褒める、そんな毎日を大切にしたい。

 

毎日等身大の自分に向き合っていたら、そんな毎日を大切にしていたら、いつか自然に自分が見えてくる気がする。気がついたら自分の魅力を見つけて1億円以上稼いで毎日ミシュラン食べているかもしれない、いえ、そうでなくては困りますとも。強欲ですの〜〜〜〜

 

おしまいですのよん

 

 

 

デカフェを「でかいコーヒー」だと思っていました

デカフェを頼みました。

 

最近お気に入りのバスクチーズケーキが有名なカフェで初めてデカフェを頼んだ。私はコーヒーが大好きなので「デカフェ」という飲み物の存在は知っていた。しかし今まで一度も飲んだことがなかったのだ。しかし今日、カフェに長居する予定だったためデカフェを注文してみた。しかし出てきたのは小さなというか普通のサイズのコーヒーだった。

 

お分かりだろうか。私はずっとデカフェのことを「でかいコーヒー」のことだと思っていたのだ。略語的な感じで。しかし違ったらしい。Googleで調べてみると「デカフェ」は英語で「decaffeinated」といい、本来カフェインを含むものからカフェインを除去した飲み物のことを指すらしい。BSSの「Fighting」という曲で「モーニングコーヒーデカフェ 早起きして気分は最悪」みたいな歌詞があるのだが、それも「あ、朝は眠くなるからめっちゃでかいコーヒーから始めるんか〜」と納得していた。紛らわしい!!

 

私は日頃からそういう思い違いというか勘違いみたいなことがめちゃめちゃ多い。オリンピックの「五輪(ごりん)」を「オリン」と思っていたりとかね。「当たり前を疑え!!」を軸とする社会学部で真面目に勉強していた身としては照れてしまう。てへへ。

 

でもこういう「当たり前を疑う」って実はめちゃめちゃ難しいことだと思ったりする。当たり前のことは疑わないから「当たり前」という名がつくのだ。

 

最近思った疑うべき「当たり前」は「みんな生きるために我慢しなければならない」という当たり前。社会人一年目でめちゃめちゃ言われたことだ。「みんな仕事したくないねん」「しんどいけど歯食いしばって生きてんねん」「日曜日の夜は憂鬱になることが普通やねん」「社会人やったら多少の我慢は必要やねん」でも転職したお友達の1人が「それって当たり前じゃなかったらしい」と言っていて「!!!」となった。

 

彼女は前職で適応障害になって転職したんだけど今の仕事が信じられないくらい楽しいらしい。日曜日の夜は憂鬱を感じることが普通だと思っていたけど今は土日も少し仕事をするワーカホリックに変身したという。なぜなら楽しいから。前は全く評価されず自分のことを無能だと思っていたけど今は新人なのに周りからも認められて頼られると言っていた。

 

スーパーに買い物に行くと、500mlの水が98円くらいで売られている。しかし富士山の上では同じ水が500円で売られている。商品自体は全く同じモノなのに、それを欲する人がどれくらいいるか、それがどれくらい重要かで価値が大きく変わるのだ。中身は何一つ変わらないのに。

 

つまりまとめると「デカフェ」はでかいコーヒーではなかったということだ。今後デカフェを頼んで普通サイズのコーヒーが来ても目をまんまるにするのはやめましょう。「デカフェ」が「カフェインを除いた飲み物」であることは当たり前のことなので。

 

おっしまい!

トンカツではなくオタクに興味があります

1人前7500円のトンカツコースを食べました。

 

この間高級トンカツレストランへ行った。「日本中のトンカツを食べる」ことを今年の目標に掲げ着々とそれを遂行しているトンカツガチ勢の先輩がトンカツの原点ここにありと絶賛するトンカツ屋さんが会社の近くにあったのだ。

 

内装はレストランというよりバーに近い。というかバーだ。バーテンダーがいるところに店主がいてその周りにカウンターがある。カウンター席オンリーなのでお客さんは10人も入らない。そして驚くことにコースは18時30分一斉スタートで、夜はその一回転のみである。

 

一言で感想を言うと「めっちゃ美味しかった!」である。目の前に何種類ものお肉を並べられてマスターが説明をしてくれる。トンカツって塩でいけちゃうんだ!とか揚げても白色のパン粉ってあるんだ!とかトンカツの可能性を感じざるを得ない時間を過ごした。

 

そこのマスターはめっちゃトンカツが好きらしい。トンカツの話をしている時めちゃめちゃ嬉しそうで1つ質問したら500になって返ってくる。意気揚々と声高らかにトンカツについて語る姿はオタクそのもの。いいなあマスターは。推しの話をして推しの素晴らしさを広めることが仕事なんだもん。

 

たった10名弱の客がマスターを囲んでトンカツについて話すから自然に他のお客さんとも仲良くなる。トンカツが作る新たな輪の誕生だ。

 

お客さんで小さなお子さんと3人で来ている家族がいたんだけどその方々もめっちゃ素敵な人たちだった。奥さんがスリランカと日本のハーフで、お母さんが昔から作ってくれていた日本×スリランカのカレーを広めたい!との想いでカレー屋さんを営んでいるらしい。

 

自分の好きなものを話す人たちってなんでこんなにも綺麗なんだろうって何度でも思う。推しのことを話すオタクもトンカツのことを話すマスターもなんでこんなに眩しいんだろう。知識をひけらかしたいとか自慢したいとかマウントを取りたいとかそんなものを一切感じない。ただただ自分の好きなことを語るのが楽しくてしょうがないって感じ。私は誰かの「好き」を聞くことがめっちゃめちゃに好きだ。

 

子供の時は単純に自分が好きなものについて永遠に話すことが得意だった。セーラームーン実写版がいかに良質コンテンツか、なぜアポロではなくチョコベビーが好きなのか。聞かれてもいないのに親の後を付きまとって永遠に力説していた。

 

しかし成長するにつれ、自分の大好きを心の中にしまうことが多くなった。理解されないのが嫌とか自分の好きなものを知って欲しくないとか「こいつめっちゃ喋るやん」って思われるのが嫌とか色んな気持ちが好きを心の中に閉じ込めているのかもしれない。

 

でもさ!!!!!!!!私は声を大にして言いたい。好きなものについて話してる時の顔めっちゃ素敵だよ!!!!!しかも意外に聞いてる側楽しんでるよ!!!!!もっともっと好きなものの話しよーぜ!!!!

 

実際私はトンカツに使っている肉の種類とかパン粉の使い分けとか死ぬほど興味がない。しかしトンカツオタクのマスターの口から聞くことでとても楽しい時間になった。夜のコースを一回転しかしないのはマスターがトンカツの話をたくさんしたいからだろう。

 

推しまい推しまい

 

 

 

ハピハピプリキュア改め嫉妬に狂うOLです

ただいま嫉妬中です。

 

私は基本的に毎日をご機嫌に生きるハピハピプリキュアなので大抵の敵からは自分のことを守ることができる。しかしたまに嫉妬というラスボスに太刀打ちできなくなる時がある。ハピハピプリキュア改め嫉妬に狂うOLになるのだ。しかし腐ってもプリキュアなので敵に勝つために行動をしなければならない。そう、勝つためには「相手を知る」ことだ。ということで私は嫉妬を研究することにした。

 

まず私は何に対して嫉妬をしたのか。そう、インスタのストーリーで見た「おめでとう〜乾杯〜」である。しかし私はこれまで数万の「おめでとう〜乾杯〜」ストーリーを見てきた。だてに20代女子をしている訳ではない。しかしこれまでのストーリーでは「ほうほうおめでたいことがあったのか、おめでとう友よ」と心の中で呟いて右手親指でスクロールであった。この違いは何か。仕事関係か否かの違いであった。あたいは仕事関係のことで嫉妬してしまう系プリキュアらしい。

 

「嫉妬」の正体って実は自分の願望だったりする。パートナーとの関係を修復したいと思っている人はラブラブイチャイチャスナップに嫉妬するだろうし、お金持ちになりたいと思っている人は誰かがベンツを買った話題に嫉妬するだろう。

 

「自分のしたいことがわからない」「自分が欲しているものがわからない」と悩む人がたくさんいるように思う。しかしそれらを見つけるのはとても簡単である。インスタのストーリーを見あさって嫉妬に狂ってしまう誰かの発信を探すのだ。インスタの最も有益な活用法なのでこれから広めていきたい所存。ここに意思表明。

 

私は自分の好きなことを仕事にしてそれで成功している人を見たらウウウウウウウうえーーーんとなってしまうことに気がついた。例えば自分のデザインが採用されたとか自身のバンドの単独ライブが決まったとか。あとは海外系。海外の院に進学が決まったとか海外支社への転勤が決まったとかフルリモートでお仕事をしながら世界中を旅することにしたとか。

 

この嫉妬より私は
好きなことを仕事をしたい→今は好きな仕事をしていないと感じている
海外を旅したい→定住が苦だと感じている
ということがわかる。いいぞいいぞ嫉妬〜もっとあたいを素っ裸にしておくれ〜

 

これがわかったらあとは自分次第だ。ワクワクする仕事ができる方法、海外に頻繁に行ける道を見つけるだけである。行きたい空港が見つかったらあとはそこに到着してくれる飛行機を予約するだけであるように、目標の場所を決めたらあとはイージーイージーおんぷおんぷ

 

嫉妬心を味方につけて無事再びハピハピプリキュアに戻ることができた私からいいことを教えてあげよう。でもやっぱり思いつかないから前言撤回〜〜〜〜

 

ハピハピ

すっぽんぽんの湯とプロの鑑定士

朝、温泉に入りました。

 

少し前、仕事でとあるホテルに1泊した。そのホテルには変な名前の温泉がついている。名前を明記することは避けるが発音が極めて「すっぽんぽん」に近い。逆に斬新である。夜に入りそびれたので朝に「すっぽんぽん」を堪能することにした。

 

早起きして6時くらいに温泉に向かう。アルマゲドンの記事にも書いたが私は露天風呂が大好きだ。特にこの季節の朝に入る露天風呂は格別である。ひんやりした風と熱いお湯のコントラスト⇨最高 新緑の景色⇨最高 朝日⇨最高 だからだ。

 

そんな最高を堪能しながら「暇だな〜」と思った。絶対に温泉好きが思うことではなくてウケる。そしてその次に「あの人とは絶対合わないよなあ〜」と思った。朝に露天風呂で考える最低なテーマ上位二つであろう。

 

お風呂に入っている時ってみんな何を考えているんだろう。家ではいつもスマホを持って入るので映画を見たり推しのYoutubeを見たりする。しかし温泉だとそうはいかない。温泉でスマホを見ながらニヤニヤしている人間なんぞ100%刑務所行きであろう。無実を訴えたところで「温泉でスマホを見てニヤニヤした」事実は変わらない。

 

暇だなあ、温泉に浸かっている時って何すればいいんだろう、の次に出てきた思考が「あの人マジで合わない」である。新緑と朝日のムダ使いすぎるので謝ってほしい。

 

私は「合わない」と感じる人とはできるだけ距離を置くべきだと思っている。それは人間関係に限った話しではない。自分が違和感を感じたりムムム?と思う物事からできるだけ距離をおくことで、「不快」の種をあらかじめ摘んでおくことができる。その結果自分、相手、周りの人を「不快」の花畑にいざなうことなく平和に生きられる。つまりはWin-Win-Winなのだ。

 

でも最近思うのが「不快」の芽を早く摘みすぎてそれが本当はめっちゃ可愛い綺麗なお花だったってことに気がつかない可能性ない?ということだ。私はプロの花の鑑定士じゃないから目の前の小さな種が激臭を放つラフレシアのものなのかそれともチューリップの球根なのかわからない。ってことはさ、少しくらい「不快」の可能性を疑いながらも成長を見ても良い気がする。

 

不快かも不快かも不快かも、、、、、、やっぱり不快じゃん!!!の可能性もあれば不快かも不快かもあれ、、、不快、、?いや、結構好きかも!の可能性もある。この「やっぱりそうだった!」「あれ?意外に違うかったな」これを繰り返すことで嗅覚が研ぎ澄まされて「不快」を嗅ぎ分けるプロの鑑定士になれるのかもしれない。

 

「すっぽんぽん」の露天風呂に入りながらそんなことを考えていたんだけど一通り考え終わった後に時間を見たらまだ5分しか経っていませんでした助けてみなさん時間が経ちません

 

おちまーーーーーーい!!!

 

 

 

 

 

これが狂気のレンズを通した生活です

足元にあるコードが絡まって大変なことになっている。

 

そういう景色を見ると「生活だなあ」と思って少し愛おしくなる。台所の換気扇の音、コンロの横に並べてあるオリーブオイルと米油、床に置かれた炊飯器。この家に引っ越してきた時に少しでもおしゃれにしたいと思って100均で透明の容器を二つ買って塩と砂糖を入れ替えた。ずいぶん汚くなってしまったけど今も仲良く横に並べて置いてある。あ〜愛おしや!!!!!

 

「生活」ってめちゃめちゃ切り抜き方次第なところがあると思っている。というか「生活」って実は愛おしポイント満載の可愛いヤツなのだ。探してやってくださいあいつの可愛いポイント。あいつ、見つけてほしいって言ってました。

 

今から生活の愛おしポイントを紹介します。読んでくれているみなさんの生活が愛おしくなること間違いなしなので絶対一文字も見逃さないでください丸丸丸丸丸大花丸

 

・歯ブラシ

あいつめっちゃ可愛くない?1日に2、3回人の口に入れられるためだけに存在してるんだよ?文句も言わず。しかも口の中をゴシゴシさせられた後は水で洗われてそのまま干される。そして「あ、乾いたかな〜」と思ったらまた口の中に入れられてゴシゴシされる。毎日それの繰り返し。トイレの後手を洗いに洗面台に行った時あいつがスンって干されていて笑ってしまった。なぜそんなにも当たり前に干されているのか。せめて文句を言ってくれスンってしないでくれ頼む歯ブラシ

 

・立つしゃもじ

こいつもめちゃくちゃ面白い。立ってるのじわじわしない?私は炊飯器の上に立たせているんだけどいつも健気で好きになってしまう。しかも立たされるのってご飯をよそった後じゃん?ってことはご飯粒が少しついている時があるの。じわじわが増してしまう。ご飯粒を顔につけた状態で炊飯器の上に立たされているの健気すぎて愛さざるを得ない。ちなみに今も元気にご飯粒をつけて仁王立ちしていますよ彼は。

 

・クリスマスに購入したトナカイの置き物

2年前の冬、部屋を可愛くするためにトナカイの小さい置き物を購入した。しかし去年の夏も初夏の今も彼がしまわれることはなくリビングのサイドテーブルの上に立っている。不本意そうでめっちゃ可愛い。不本意+肩身狭そうで可愛い。クリスマスシーズンはあんなにも頼もしく堂々とサイドテーブルの主役をはっているのに3月くらいから特に肩身が狭そうになり「あの、、、今年こそはしまってくれません、、?」の目で私を見てくる。そんな彼が愛おしいので私は何があってもしまわない。冬が近づくとまた主役の面持ちでサイドテーブルのリーダーになるんだろうな。

 

この小さな部屋の中でも一瞬の間に「愛おしい」を3つも見つけることができた。もっとあるよ生活って面白いんだから。歯ブラシとしゃもじとトナカイで1000字書いた私が存在することも狂気だし生活ってそういう可能性秘めている。

 

誰か他の人のレンズを通した生活の中の「可愛い〜」「ウケる〜」が知りたいな。楽しさ無限大⭐︎卍卍卍

 

おっしまい